サマースクールのあゆみ
(私の)障害児サマースクールの歩み
2023年夏 菅原美代子
昨年度、長い歴史のあった大津市障害児サマースクールが、コロナ禍の中、ついにその歴史に幕を閉じました。
1980年(昭和55年)、前年度からの養護学校義務化に伴い、長い夏休みをどう過ごすのかを心配した養護校の先生からの提案で、滋賀大教育学部の障害児研究会・しいのみに保育を依頼し夏期学童保育が始まり、翌年から、大津市障害児父母の会と共催で、サマースクールが始まりました。その後、1987年(昭和62年)に当時の山田市長の提案で、障害児関係に何か施策を、ということで、サマースクールが、大津市主催となり、20日間開催となり、補助金も出していただき、担当の職員も出していただける様になりました(形としては、大津市父母の会連合会—大津市障害児者と支える人の会の前身—に委託)。これを契機に一気に県内の他の市町にサマースクールが広がっていきました。
私自身は、1988年(昭和62年)6月に札幌から大津市に引越し、その年は、もう募集は終わっていたので、翌年の1989年(昭和63年)から、4年間参加しました。最初の参加は息子(自閉症)の小学校5年生からで、結構こだわりの強かった息子に、当時担当してくださったしいのみのFさん(女性)は苦労されたと思います。夏休みが終わった後の反省会で、学生さんたちの前で、それまで夏休みになると昼夜逆転となり、2学期の2学期の始まりで調子を崩していたけれど、今回はサマースクールに参加したおかげで、昼夜逆転もなく、調子良く2学期を始められました。とお礼を言うと、Fさんは嬉しいと言って泣いてくださいました。さぞ息子のことで苦労されたのだろうと、私も胸が熱くなりました。
1995年(平成7年)からはそれまで1会場(高学年と、低学年で2クラスに分かれてはいた)だったものが3会場となり、だんだん増えて1999年(平成11年)には5会場まで増えました。その間、しいのみの学生さんたちの人数も減り、企画もボランティア募集も親運営(ホリデースクール)となりました。学生ボラの中心も、龍谷大の社会福祉学科の学生にとって変わりました。
私自身は2002年(平成14年)から、それまで委託とは名ばかりだった父母の会連合会で、事務を引き受けて欲しいと、障害福祉課からの要請があり、事務局を引き受けることとなり、なんと20年間、最後の年は顧問になっていましたが、サマースクールに関わりました。
親運営になってからは、とても親御さんとしては大変な仕事量でしたが、我が子に有意義な夏休みをの一念でセルフサポートを頑張ってこられました。でも、時は移り、働くお母さんが多くなり、また、障害児学童や、放課後デーサービスなどの福祉サービスも広がり、サマースクールに参加する方々も、徐々に減っていきました。それでも、我が子により良い夏休みをと手作りの企画を考え、ボラ募集に励むお母さんたちには頭の下がる思いでした。
しかしコロナ禍がついにお母さんたちを追い詰め、ついに2会場が1会場となったところで力つきました。
今回、各事業所の方々が集まった会議で、サマースクールが、終わることをお話したところ、とても驚かれ、残念がられました。それは、サマースクールのボランティアがきっかけで、福祉の道に入った方が結構いられたという事実があったからです。それを聞いて、サマースクールに関わったものとしてとても嬉しく思いました。
大津市障害児父母の会としいのみで始めてから45年、大津市の主催になって35年、よく長く続けてこられたものだと思っています。これも頑張ったそれぞれの年代のお母さん方の力であると思っています。サマースクールは終わりましたが、大津市の障害児福祉の歴史にとって決して、忘れ去ることのない輝かしい歴史の一つであることを、私は関わった者の一人として、胸を張ってそう思います。